YPAM

主催者からのご挨拶

山中竹春
横浜市長

アジアで最も影響力のある舞台芸術プラットフォームのひとつ「横浜国際舞台芸術ミーティング(YPAM)」が、今年も盛大に開催されます。

舞台芸術関係者の皆様、アーティストの皆様、そして舞台芸術を愛する観客の方々が国内外から集い、横浜を舞台に数多くの新たな交流が生まれ、多彩なプログラムをお楽しみいただけることを願っています。

数ある公演の中でも、今回は、YPAMディレクションとして、横浜市内にキャンパスを構える日本体育大学とドイツのアーティストが連携した特別なプログラムが行われます。

横浜ならではの公演にご期待いただければと思います。また、最先端のパフォーミングアーツ公演や、国内外の専門家によるミーティングに加え、まちなかの様々な場所でフリンジ公演が行われます。御来場の皆様には、横浜のまちの魅力とともに舞台芸術の感動に触れ、期間中のさまざまな取組を通じ、それぞれの新たな発見を得ていただければ、この上ない喜びです。

横浜に舞台芸術があふれる17日間を、是非お楽しみください。

磯崎功典
公益財団法人神奈川芸術文化財団 理事長

2021年より「YPAM – 横浜国際舞台芸術ミーティング」と名称を変えた本催事も、今年で4回目を迎えました。改めて、この催事を支えて下さる多くの皆さまのご尽力に深く感謝申し上げます。

世界有数の舞台芸術プラットフォームとして国際的に高い認知を確立している「YPAM – 横浜国際舞台芸術ミーティング」は、地域社会に立脚した、持続可能な催事であることを目指し、地域との連携・協働をより一層進めております。

今年度、KAAT神奈川芸術劇場では、海外のトップアーティストを招き実施するYPAMディレクション、横浜を拠点に活動する団体との連携プログラム、KAAT企画制作による国際共同制作公演など、バラエティに富んだ演劇・ダンスの上演が予定されております。海外のアーティストとの協働も更に活発となってきました。主催団体として、上演会場の提供だけにとどまらず、国内外の協働による上演を最大限バックアップすることにより、劇場一丸となって本催事に取り組んでまいります。

国際的な課題も多く、世界に緊張が高まっている今だからこそ、国を越えて舞台芸術の可能性を追求し続けるこの催事が、地域の皆様と芸術文化との新たな出会いと、国際理解や交流の場となるよう心より願っております。

近藤誠一
公益財団法人横浜市芸術文化振興財団 理事長

舞台芸術の持つ力や役割を地域にどう活かせるかは重要な課題です。その一つは、舞台芸術の楽しさを、公演や様々なプログラムで分かり易く伝える工夫を重ねることによりファン層を拡大することが必要です。

第二は、昨今一部で見られるように、舞台芸術を個人の趣味や娯楽に留めず、地域課題の解決や市民によるまちづくり活動と結びつけることで、地域活性化につなげることができるでしょう。

地域とYPAMの関係性をより深化させる「YPAM フリンジソサエティ」が昨年立ち上がり、まちの人々、様々な拠点との結びつきを深め、会期中はもとより、年間を通じてYPAM の取り組みが街に広がっています。

YPAMの活動が、色々な領域での課題発見やその解決に向けた取り組みを喚起し、市民や横浜の地域資源とつながり、舞台芸術の新たな魅力が掘り起されることを期待します。

Photo by Hideto Maezawa

丸岡ひろみ
特定非営利活動法人国際舞台芸術交流センター 理事長
横浜国際舞台芸術ミーティング ディレクター

「これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋あいはありません」。1945年に朝鮮が日本の植民地支配から独立して13年後、第1次安保闘争の1年前にあたる1958年に東京で起こった「小松川事件」の被害者の親が綴ったとされる一節です。加害の背景や歴史を理解することでこの発言もまた理解されるわけですが、実際、戦争への想像力から当時この言葉を理解して同意する(共感では必ずしもなく)人は少なくはなかったと思います。一方、2024年のこの同時代には、加害の背景の理解より先に、親が娘の生存権を自分の道徳的裁量で決定しているとみなされ批判されるかもしれません。

1940年代後半に欧州を中心に各地で演劇祭が始まりました。地球規模の戦争—それは中東他各地での代理戦争や、冷戦という形で継続していたわけですが—への反省と全能的兵器の登場を背景に、自らの共同体を批判することはその大きな目的の一つだったはずです。それらの演劇祭は、1980年代後半には国際舞台芸術祭へと展開、共同体外部の作品を取り入れるようになり、それは引き継がれるべき思想としてTPAMのような国際プラットフォームの理念ともなり、そのようなプラットフォームが各地で形成されネットワークされていきました。2001年9月に起きた「同時多発テロ」とともに始まった2000年代には、それまでの政治的、美学的な「総合芸術」とは一線を画すように、「同時代を映す鏡」として若者たちの瑞々しく、もしくはグロテスクな、そして赤裸々な日常や実態を映す作品群が各地で上演されました。しかし2020年からのコロナ禍後にはそれまでとは異なる潮流が生まれていると感じます。分断、気候変動と持続可能性、ポスト植民地主義、LGBTQ、これらのキーワードが2020年以前に存在しなかったわけではありません。しかし最も異なるのは、それらに徹底した個人主義で取り組むべきという思想が舞台芸術界でも主流になりつつあるというところであるように思います。

その潮流についてジャーナリスティックに論じることは私にはできません。代わりに、ここではYPAMディレクションの作品について記したいと思います。

冒頭の小松川事件についての引用は、ユニ・ホン・シャープ『ENCORE – violet』の企画書からです。ユニさん(と呼んでいます)は在日コリアン三世として東京に生まれ育ち、後にフランス国籍を取得しました。「そろそろ40歳だし、死ぬ前に言いたいことを言っておこうと」取り組みはじめたというレクチャーパフォーマンス三部作『ENCORE』は、リサーチの有限性を隠蔽せずその内容を率直に観客と共有しつつ、いつの間にか語りの主導権を掌握する手つきに、「死ぬ」ことに備えるのは明らかに早いその年齢に見合わない熟練を感じさせます。この熟練は芸術的達成として受け取ることができ、それを楽しむ権利が私たち日本人観客にないとは言いませんが、ユニさんをこのように熟練させたのは何なのかを考える必要もあるかもしれません。2022年に城崎国際アートセンターで初演された第一作は、日本植民地時代の朝鮮と日本、冷戦期の北朝鮮と中国で活動した朝鮮のダンサー、崔承喜に関するパンデミック中のリサーチに関する作品で、今回アップデートを加えて上演されます。1923年に首都圏で起こった朝鮮人虐殺と上述の「小松川事件」に関する第二作は今回が初演。最終回の後には第三作の構想を共有してもらう予定です。

オン・ケンセンは、日本で最もよく知られている海外の現代演劇の演出家の一人だと思います。しかし、彼ほど舞台芸術の国際的環境を考え、その改善のために具体的に行動した人物もまたいないでしょう。とりわけ2014年から5年間彼が芸術監督を務めたシンガポール国際芸術祭は、当時東南アジアにフォーカスしていたTPAMのプログラムに少なからず影響を与えました。2017年にTPAMのために来日した際、彼はインタビューの中で次のように語っています。「ここでは芸術世界に限定しましょう。たとえば、日本では寺山修司、インドネシアではサルドノ・クスモといった人たちのビジョンは、世界を目指すための視座、つまりは係留地点を与えてくれるものでした。こういう視座が必要なのは、ますます世界がグローバル化しているからです。係留地点は常に革新的で、単独的(シンギュラー)なものです。というのも、そのビジョンは、ある特定の創造者のある特定の文脈から育ってきたものであっても、やがて未来を構想するある種の軌道を描けるようになり、人々にインスピレーションを与えるものになるからです。そこが芸術と文化の違いではないか。文化はそこら中にありますが、芸術はそうではない」「私のプログラムのつくり方は、私のアーティストとしてのアイデンティティ、自分が辿ってきた歴史と関係があります。その意味で、私がつくるフェスティバルは、芸術産業のモデルになるようなものではありません」。

芸術家は個人的というよりは単独的な視座に立って革新的に創造するものであり、国際フェスティバルは産業的視座ではなく歴史的視座に立って作られるべきという、このような考えを共有しながらも、ケンセン自身の作品そのものをTPAMやYPAMで紹介することは(計画はあったものの)これまでありませんでした。今回それが実現することを大変嬉しく思っています。彼の新作『ディドーとエネアス』は、演出家としての豊かな経験と、ヨーロッパの素材を脱植民地化する数多くのプロジェクトの実績に立脚しつつ、演劇というメディアの即時性やスピード感を再認識させるような、ラディカルな「軽さ」を持った作品になっています。彼がこの作品で、横浜を中心に呼びかけ集められるはずのボランティアパフォーマーとの協働を通して、「普遍性」の権威抜きに語ろうとする生、愛、欲望といったテーマは、彼のこれまでの作品と同等か、場合によってはそれ以上にポリティカルな響きを持っているように思います。

ナム・ファヨンは、ユニ・ホン・シャープが『ENCORE』第一作で取り上げた崔承喜に関するリサーチに長期的に取り組んでおり、2012年にフェスティバル・ボム(ソウル)で初演された『イタリアの庭』、2019年にヴェネチア・ビエンナーレの韓国パビリオンで展示され、後に恵比寿映像祭でも紹介された『半島の舞姫』を含む多くの関連作品を発表しています(一方、彼女が「振付」「リハーサル」といった概念を問い直すようなコンセプチュアルなパフォーマンスも作っていることは、舞台芸術の領域ではまだそれほど知られていないかもしれません)。今回招聘する新作『2』は、崔承喜、そして崔と同じく日本植民地主義時代に石井漠に学んだ台湾のダンサー蔡瑞月についての、リサーチベースのドキュメンタリー的アプローチとは大きく異なる思弁的、詩的な作品になっており、作家が到達した新たな境地を感じさせます。この作品はソウルの国立現代美術館と台中のアジアン・アート・ビエンナーレの委嘱であり、9月から3月まで同美術館での「接続する体:アジアの女性美術家たち」展、11月から2月まで同ビエンナーレで展示されます。YPAMでの展示期間は短いですが、この二つの展覧会と同時にこの作品を展示できることは大きな喜びです。

日本体育大学横浜・健志台キャンパスで「集団行動」を実践する学生約70名とのコラボレーションに取り組むリチャード・シーガルは、今年7月にニュルンベルクのバレエ・ディレクターに任命されました。同市に残るナチ党大会会場跡に建設中の新しいオペラハウスの方向づけにも関わることになります。「集団行動」のリサーチに基づきカンパニーのダンサーと作った前作『(不)服従のバレエ』は、タイトルが示す通り、規律や命令と個人の関係に関する政治的・倫理的問いを内包していました。日体大の学生たちと実際に協働する『集団行動』は、それを踏まえて、全体主義的な教練とは全く異なる「集団行動」のポテンシャルをコンテンポラリーアートの文脈で引き出すような、ニュルンベルクでのミッションにも大きく影響するような重要作になると期待されます。初演の翌日には無観客での撮影を行い、映像インスタレーション版の製作にもつなげる予定です。

さて、YPAMはプロフェッショナルの交流プログラムであるYPAMエクスチェンジを軸として、公演プログラムは主催公演であるYPAMディレクションに加えて、公募型のYPAMフリンジと横浜・神奈川、海外の芸術支援団体との特別協力によるYPAM連携プログラムがあります。

YPAMに改称して以来会場を横浜・神奈川に限定しているYPAMフリンジには、50演目という、東京での公演の登録も受け付けていたTPAMフリンジの時代に匹敵する数の登録をいただき、その3割が海外からの参加となります。また、YPAM連携プログラムには東アジアのダンスプラットフォーム、横浜のダンスハウスによるショーケース、公共空間の新しい活用法の提案、国際共同製作のグッド・プラクティスの紹介、地域のリソースを活用した展示とパフォーマンスのフェスティバルなどが集まりました。詳細はそれぞれのページに譲りますが、多彩な作品/プロジェクトに出会える17日間になることでしょう。

末筆になりましたが、関係者の皆様、ご参加ご登録の皆さま、観客の皆様に厚く御礼申し上げるとともに、皆様のご来場を、スタッフ一同、心よりお待ちしております。